大判例

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最高裁判所大法廷 昭和37年(オ)449号 判決 1964年3月25日

上告人

石原政子こと

鄭政子

右訴訟代理人弁護士

佐長彰一

同復代理人弁護士

浜田源治郎

被上告人

石原清こと

鄭昌圭

主文

原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。

本件を東京地方裁判所に移送する。

理由

上告代理人佐長彰一の上告理由について。

論旨は、原判決およびその是認引用する第一審判決が、本件離婚請求の相手方たる被上告人(被告)がわが国に渡来したことなく、したがつてわが国に最後の住所をも有しない者であるとの一事をもつて、上告人(原告)の提起した本件離婚訴訟はわが国の裁判管轄権に属しないとしたのは、正義公平に反する法律判断であつて、離婚の国際的裁判管轄権についての解釈を誤つたものであると主張する。

ところで、本件は朝鮮人(韓国人)夫婦間の離婚訴訟であるが、上告人の主張によると、妻たる上告人はもと日本国民であつたところ、昭和一五年九月当時中華民国上海市において朝鮮人である被上告人と婚姻し、同市において同棲をつづけた後、昭和二〇年八月終戦とともに朝鮮に帰国し被上告人の家族と同居するに至つた、しかし上告人は慣習、環境の相違からその同居に堪えず、昭和二一年一二月被上告人の事実上離婚の承諾をえて、わが国に引き揚げてきた、爾来被上告人から一回の音信もなく、その所在も不明である、というのである。

思うに、離婚の国際的裁判管轄権の有無を決定するにあたつても、被告の住所がわが国にあることを原則とすべきことは、訴訟手続上の正義の要求にも合致し、また、いわゆる跛行婚の発生を避けることにもなり、相当に理由のあることではある。しかし、他面、原告が遺棄された場合、被告が行方不明である場合その他これに準ずる場合においても、いたずらにこの原則に膠着し、被告の住所がわが国になければ、原告の住所がわが国に存していても、なお、わが国に難婚の国際的裁判管轄権が認められないとすることは、わが国に住所を有する外国人で、わが国の法律によつても離婚の請求権を有すべき者の身分関係に十分な保護を与えないこととなり(法例一六条但書参照)、国際私法生活における正義公平の理念にもとる結果を招来することとなる。

本件離婚請求は上告人が主張する前記事情によるものであり、しかも上告人が昭和二一年一二月以降わが国に住所を有している以上、たとえ被上告人がわが国に最後の住所をも有しない者であつても、本件訴訟はわが国の裁判管轄権に属するものと解するを相当とする。それ故、本件訴を不適法として却下した第一審判決を是認した原判決には、判決に影響をおよぼすこと明らかな法令の違背があり破棄を免れず、論旨は理由がある。

もつとも、本件訴訟がわが国の裁判管轄権に属するといつても、如何なる第一審裁判所の管轄に属するかは別個の問題であつて、上告人は原告の住所地の地方裁判所の管轄に属するものとして本訴を提起しているが、本訴は人事訴訟手続法一条三項、昭和二三年最高裁判所規則第三〇号の定めるところにより、東京地方裁判所の管轄に専属すると解するのが相当である。

よつて、民訴四〇七条一項、三八六条、三八八条、三九〇条により、本件訴を不適法として却下した第一審判決を是認した原判決を破棄し、第一審判決を取り消し、本件を東京地方裁判所に移送することとして、裁判官奥野健一の意見があるほか、全裁判官一致の意見により、主文のとおり判決する。

裁判官奥野健一の意見は次のとおりである。

憲法三二条は、「何人」もわが裁判所において裁判を受ける権利を奪われないと規定しているから、わが国に住所を有する外国人も、日本人と同様にわが国の裁判所において裁判を受ける権利は憲法により、保障されているものと言うべきである。そして、わが国に住所を有する外国人についての離婚その他の身分関係の得喪変更は、住所国たるわが国としても重要関係を有するが故に、わが裁判所は、かかる外国人に関する離婚訴訟について裁判権を有するものと解せられる。このことは、法例一六条但書、裁判所法三条の規定からも肯定することができる。

外国人に関する離婚訴訟について国際的裁判管轄の規定の存しない以上、人事訴訟手続法に準拠する外はないのであつて、同法一条三項によれば、離婚訴訟において相手方が、たとえわが国に住所も居所もなく、また最後の住所もないときでも、わが裁判所に出訴し得ることは明白であるから、本件においてわが国に住所を有する原告が外国に住所を有する原告が外国に住所を有する夫を被告としてわが国の裁判所に出訴し得るものと解するのが相当である。

もとより、わが裁判所の裁判は、外国人たる被告の本国法、住所国法が、その効力を承認しない限り、いわゆる跛行婚の発生を避けることはできないけれども、多数意見によつてもまた同様である。のみならず多数意見の如く、原則として被告の住所国にのみ裁判管轄権ありとしながら、例外として原告が遺棄された場合、被告が行方不明である場合その他これに準ずる場合に限り、原告の住所地であるわが国に裁判管轄権を認めようとすることは立法論としては格別、明文のない場合における解釈論としては行き過ぎであると言わねばならない。

若し日本人が原告として夫婦の一方である(外国人現行国籍法は夫婦同一国籍主義を採つていない)に対し離婚訴訟を提起した場合には、被告が外国に住所を有すると否と、またその主張の離婚原因が遺棄、行方不明等に限定することなく、その出訴自体は許さるべきであることは憲法三二条、法例一六条、人事訴訟手続法一条により、殆ど疑を容れないところであると思われる。然らば日本人と同様に、憲法三二条により出訴権を保障されているわが国に住所を有する外国人に対しこれが出訴権を否定することは違憲の疑ありと言わねばならない。

以上の理由により結局原判決は破棄を免れない。(裁判長裁判官横田喜三郎 裁判官入江俊郎 奥野健一 石坂修一 山田作之助 五鬼上堅磐 横田正俊 斎藤朔郎 草鹿浅之介 長部謹吾 城戸芳彦 石田和外 柏原語六)

上告代理人佐長彰一の上告理由

第二審判決は上告人が提起した離婚訴訟について裁判権なしと判断した第一審判決理由を引用して控訴棄却の判決を下しているが、右引用に係る第一審判決は訴訟要件たる裁判権について不当な判断をしたものであるから第二審判決は法令違背の判決として取消を求める。

即ち第二審判決引用の判決によると本件被告人は日本に一度も渡来したことがないから我が国の裁判所に裁判権を認めることは被上告人に対して事実上応訴の道を封ずることになるから不当というのである。

成程右引用の判決理由は被告の住所主義を原則としたものであり、その限りにおいては訴訟法規の解釈は形式的には正当と言い得るかもしれない。

けれども法律判断の当不当は単に一般論理にかなうのみで決せられるべきものではなく、更に正義公平にかなうことが亦判断の基準たるべきである。とりわけ離婚の国際的裁判管轄権については現行法上直接の規定はなく、専ら解釈に委ねられている場合などは特にこの点が強調されなければならない。

さればこそ法令改正要綱試案(婚姻の部)第十五の甲案によつても「(2)次の場合には被告の住所が日本になくても原告が日本に住所を有するときは日本の裁判所に管轄がある。」として「(イ)原告が遺棄された場合、被告が国外に追放された場合、被告が行方不明である場合、その他これに準ずる場合」としている。又乙案によると当事者の一方が日本人であるとき、又は日本に住所を有するときは日本の裁判所に管轄権がある。としている。

この様に試案が規定された所以は被告の住所主義を貫くことが或る場合においては原告に酷であり、正義公平の観念にそわないという趣旨に基くものであると説明されている。(法律時報資料版一四号一九頁)

しかして右趣旨はかゝる規定なき現在においても解釈上充分可能であると考えるのである。具体的事案に則した理由は後記するとして、本件同種事案について昭和三十年四月二十八日第三十七回法務省裁判所戸籍事務連絡協議会は「日本に在住する朝鮮人男又は女は日本の裁判所において朝鮮にある妻又は夫と離婚の裁判をすることが出来る」と決議し、又第十六回南関東家事審判官協議会においては「朝鮮において事実上の離婚をなし、単身内地に渡航以来十数年居住している朝鮮人男、又は女が朝鮮にある妻又は夫と離婚する場合に、日本の裁判所において離婚の裁判が出来るか。」との東京家庭裁判所の提出問題について積極の意見を決している事実はこれに関する規定なき現在においても被告住所主義によらざることも可能であることを示しておるのである。

ところで本件上告人は昭和十五年九月、上海市において被上告人と結婚し、平和条約発効により日本人たる身分を失つたものであるが、敗戦により夫たる被上告人の本籍地に帰つたが、生活風習の相違より事実上離婚して昭和二十一年十二月に内地に引揚げたのである。爾来十有六年を経過しているのであるが、被上告人より一回の音信もない。その間被上告人の居住地は所謂朝鮮動乱があつたことは公知の事実であるから、生死不明であることも充分に推定出来るのである。

とするならば上告人は被上告人より悪意の遺棄をされたものと言うべきであるし、又被上告人は三年以上生死不明であるともいうべきである。

尤も右は日本国法に従つた場合であるが、仮に本案審理において被上告人の国法に従つた場合―離婚における準拠法は離婚原因発生当時は平和条約発効前であり、従つて日本統治下に制定された法令によるべきであるから現行韓国民法は考慮の余地はないと考えるけれども―においても日本国民法と同様であるから離婚事由は十分にあると考えられるのである。のみならず被上告人は事実上離婚に際して離婚すると言明していることも亦上告人の主張より窺えるのである。

従つて本件について日本裁判所に裁判権を認めて実体的審理に入つたとしても、被上告人の利益を不当に侵害したことにはならない。

元来管轄権の帰属は訴訟における当事者の公平、裁判の迅速、適正を考慮して決定されるのであることは言うまでもない。ところで離婚においては通常の事案と異なり被告を優先的に保護すべき理由はなく、原被告は平等に保護さるべきものである。この事は前記試案における審議経過にも明らかに主張されているところであるが、この様な観点に立つ時訴訟の門戸は広く開くべきと考えるのである。

にも拘らず第一、二審判決は頭記の様に訴訟要件を極めて表面的形式的に解釈しておるのである。これは全く被上告人の利益のみ―実際的に利益か否かも実は疑わしい観念的な利益である―を擁護する余り上告人の利益を不当に侵害しているのであつて、これは要するに訴訟要件の判断に誤りがあるが故である。

そして訴訟上の事項も判決で判断する場合は訴訟法規も実体法的に取扱われるのであるから、かゝる判断の誤りは上告理由たる法令違背になるものと考えるから第二審判決を取消し、差戻しを求める。            以上

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